もう、この可愛らしいお宿ともお別れ。チェックアウトを済ませ、荷物を預けて、出掛けました。少し寂しい気がしてたくさん写真撮りました。来たときは、ここに住んでもいいよと、言ってしまうほどでした。グラナダに来たら、また、泊まりたい宿です。いや、今度はないか。。
いよいよグラナダ2つ目の、見所へ向かいます。
それはアルハンブラ宮殿です。
いつものカフェで、お昼御飯用に
ボカディージョを3つ、テイクアウトして、歩いて向かいました。
この時実は、このカフェに始めに来たときの選んだメニューを、お兄さんが覚えてくれていて、次に来たときもそれが出てきたのでした。それで、今回はテイクアウトと言うことを伝える前に、すでに3人のコーヒーのメニュー作り始めていたのでした。で、時間はあったのですが、急いでいるのが伝わって、「いや、違うんや❗」と思ったお兄さんが、いれかけていたコーヒーを、流しへ。あっという間の出来事でしたが、フォローする間もなく過ぎてしまい、たいへん申し訳なかったと、今でも鮮明に思い出します。頂いて行けば良かったのにと、機転のきかなさに自分にがっかりしていました。ホントにお兄さんごめんなさい。せっかくのコーヒーが。。
このあと延々と階段を登り坂を登って。
アルハンブラ宮殿は、9時半の予約でした。
階段を登り詰めたら、
ぼんやりうっすら
沈み損なってる
朝の満月が
じっと見てた。
手の絵とそのしたには鍵のレリーフが。。
伝わる伝説によると、「悪魔に魂を売った王様が、宮殿に魔法をかけ、守っているので、地震にもびくともしない。魔法が解けるときが来ると、この手が延びて、鍵を開けるのだそう。鍵が開けられたら?宮殿は、崩れ落ち、財宝が顔おだす。」と言いた伝えられている。この門の名前は、裁きの門。民事裁判が行われていたとありました。そんなイメージなかった。手が延び鍵を開けるなんて。でも、ありそうで。
歩き進むと床に、凝ったタイルと煉瓦の装飾。タイルは、以外と強いんですね。われるものと思っていますが、煉瓦の方がすり減って窪んでいたりして。凹んでいますね。柄も当時のままかと思うととても、ほっこりします。造った人と好みが同じと思うとね。タイルは、かなりいろんなところで、使われていて、心地よく飾るお仕事してくれています。その殻のモチーフも土地柄、宗教的に様々に考えられています。
大使の間てす。壁はスタッコ(漆喰)の、飾り仕上げです。天井は、寄せ木細工。すごいです。イスラム教は、偶像崇拝ではないので、人形のなにかは一切ありません。ただ、壁の柄のなかに、言葉を刻むと言うことを、考えたようて、そこここに、文字が刻まれています。私はその詞を理解する能力がありませんので残念ですが、分かる方には、この彫刻の数々が深い意味のある遺産なのだと思うと、宗教を越えてとても考え深いてす。たくさんの写真がありますので、出来るだけ御覧頂きたいと思っています。「生きててよかった」クラスの感激がありました。
上段の窓は、透かし模様。
天井部分も、こんなに綺麗です。
拡大出来ましたらぜひ拡大して御覧ください。
スタッコのアラベスク模様と呼ばれています。文字が刻まれています。葉っぱすら、文字に見える。
目の前に彫刻の数々が並ぶため、つい、この紋章のツルッとした部分を、そっと撫でてしまいましたら、ガイドさん(娘)に、「お手を触れないでください。」としかられました。そうですね、何百年とこの場所でずっと素晴らしさを見せ続けてくれている、たいせつな遺産ですから、ほんとにごめんなさいです。
何故か爽やかな薄いブルーの、色が残っています。地中海に近い太陽が全てを支配する場所ですので、涼しげな色使いなのでしょうか。
天井は、寄せ木細工。
天人花の中庭と呼ばれるお庭です。14世紀前半。公的な人々との交流に使われたそうです。
反対側は、二階があります。澄みきった水面に、写り込む。
こうして、見ると白と濃茶のテーマカラーに、水辺や、差し色のブルーと、すっきりとした色使い。建物もシンプルで無駄のない作りとなっています。決して贅沢なものではなかったと思います。
スペインと言えば、キリスト教の国と思っていますが、南部の都市においては8世紀以後、長い間の、イスラム教の支配と言う歴史があります。何代にもわたる、イスラム王朝の支配がありましたが、レコンキスタと呼ばれる、キリスト教徒による、国土の占領が、徐々に南へ進み、レコンキスタの、最終完結の場所が、イスラム王朝の拠点であったグラナダの街であり、この、アルハンブラ宮殿であった、と言う歴史的背景があります。
この、美しい遺産にも、大変悲しい歴史があり、この宮殿の建設に携わった建築家達は、宮殿の秘密が外部に漏れないよう、完成後に殺されたとの話もあり、とても考えられませんが、悲しい歴史です。
私は、過去の素晴らしい遺産が大好きです。ずっと見ていたいと思います。ただ、古いお寺や、仏像、そういう過去の素晴らしい遺産に出会う度に、特別な想像がめぐることが良くあるのです。此のような素晴らしい形あるものを実際お造りになった方々の、人生ってどんなだったのかしらと。作った王さまや、お殿様がだれだか、に、想いを馳せることはなく、どのような気持ちでこの芸術とも言える作品をつくったのか。そこに心がタイムスリップしてしまうのです。今でさえ、お金を詰めばなんなりと叶ういびつな世の中、その大昔となると、どんなだったか、どんな暮らしをしていたのか、家族はあったのだろうか、幸せだったのだろうかと。もしかしたら、察するに余りあると言う言葉が当てはまりはしないかと、心が傷むことが度々です。この、建築の完成後のお話は、氷山の一角でしかないことでしょう。ですので、私の歴史感は、その、小さなお一人おひとりの技や努力や心の集結された、結果の遺産だと、いつもおもうのです。私はそういう意味で遺産と言うものを見ています。この時代のこの技術、最先端はいつも、支配者に利用されるのですね。いつの時代も。。本当に歴史とは、壮大なものなのでしょうね。
10世紀頃から、赤い城と呼ばれる城塞がつくられ始め、13世紀から14世紀にかけて、城塞内の北部に洗練に洗練を重ねて、これ以上は、と言うところまで完成された宮殿建築。それも、キリスト教によるレコンキスタで滅ぼされ、1492無血開城されたと言うことです。歴史の流れと言うものはと、複雑な思いてす。完成から、200年足らずで、滅ぼされるのですね。建物がこうして、ほとんど壊されることなく残っているのほ、あまりの美しさゆえにと言うことなのでしようね。
少しそれてしまいましたが、まだたくさんお見せしたいので、3部くらいになるかもしれません。
長々と書いてしまいました。ご覧頂きましてありがとうございます。
まだ続きます。
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